今村あゆみの街宣予定バナー!


日本共産党比例代表南関東ブロック事務所が情報を発信してくれています。


野党共闘の勝利と日本共産党の躍進めざし、比例代表候補(南関東ブロック)として奮闘する決意!

総選挙の公示(10日)直前の10月7日にひらかれた旭公会堂の日本共産党演説会でのスピーチです。

みなさん、こんにちは。
ただいまご紹介いただきました日本共産党 今村あゆみです
昨年12月から仕事をしながら神奈川6区の予定候補として「憲法をくらしに生かし一人一人が大切にされる社会にしよう」と訴えて活動してきました。
この度、小選挙区ではなく、南関東ブロック比例代表の候補者となりました。どうぞよろしくお願いいたします。


わたしは、北海道で生まれ18歳まで暮らしていました。両親が党員でしたので、生まれた時から共産党は生活のなかにありました。はたらく人が幸せになれる社会をめざし、頑張っている両親の姿を見て育ちました。こどものころは、共産党は議席も少ないし、「アカ」とかいわれつまはじきにされるけど、長いものには決してまかれず、戦争反対、国民主権と信念をつらぬき、いつも国民のために頑張っている。苦難あるところに共産党あり。なんでみんな、この良さがわからないのだろう、と思っていました。
思えば、「ぶれない党」は、いまに始まったことではありません。草の根で結びつき、人々の幸せのためにがんばり続ける党。それが日本共産党です。いま議員になりたくて、自分の利益のために党を作ったり、壊したりする姿をみていると、つくづくこの党でよかったなと思います。


わたしは、大学1年生の秋、党に入りました。自分が、その一員になって両親と同じようにがんばれるだろうか、最初はためらいましたが、自分もあきらめない生き方をしたい、国民本位の一人一人が大切にされる社会に変えるためにがんばりたいと、決意しました。
大学では、社会福祉を学び、卒業後は、精神障害者の方を支援する事業所に勤め、今年で30年目です。3人のこども育てながらはたらいてきました。
候補者になってほしいとの要請を受けたのは、1年ほど前です。当時は、年内に国会解散があるかもしれない、という状況でした。福祉の現場に身をおく普通の党員で、なんの役職もない一市民であるわたしに、国政の候補者を引き受けてくれとは、なんて無謀な提起をするのだろう。「無理でしょ」と思う一方で、党からの要請をことわっていいものか?と悩みました。職場では事業所の所長など大切な役割もあるし、退職すれば職場への影響は大きい。これは困ったことになった、と数日間悩みました。でも「障害のある方の暮らしと権利を守り、職員の努力が報われるようにするには、現場の努力だけでは限界がある。」と感じていたので、「福祉の現場で頑張る道もあるけど、政治を変えないと、福祉はよくならない。そういう大局的な立場で考えよう。」と気持ちを整理し、差別や偏見もなく、誰もが生き生きと暮らせる社会にするために、大元から政治を変える。そのために頑張ってみよう。難しい挑戦ではあるけれど、やりがいのある仕事だと考え、引き受けることにしました。


そして、先月16日。臨時国会冒頭解散か、との報道を受け、すぐに、職場には、「解散が決まったら休職したい」ことを願い出て、了承を得ました。
解散・総選挙も急転直下でしたが、政治情勢が、こうもめまぐるしく変動し、激動のなかで、選挙戦を迎え、その渦中で、党員として、自分も試されることになろうとは思いもよりませんでした。
ここ6区での野党共闘がどうなるのか、もやもやしたまま選挙戦に入りました。
ご存知の通り、希望の党ができ、民進党がそこに飲み込まれ「野党共闘」の道がなくなりました。

政策を訴えていると「あなたのところは、出来てはすぐに無くなるどこかの党とは違うから信頼できる。ぶれずに、頑張っているのはおたくのところだけだ。応援している。頑張って」「とにかく、安倍さんなんとかしてよ」と声がかかりました。
党への期待と信頼が高まっていることをひしひしと感じ「投票日まで、全力で駆け抜ける」覚悟と決意を新たにしていました。
ところが、立憲民主党の誕生で、野党共闘の道ができ、県内の状況をみて6区では、立候補を取りさげることとなりました。


一旦覚悟して、走り始めた矢先でしたので、自分の気持ちの持って行き場、取り扱いに困りました。残念でもあり、悔しくもありました。
しかし、考えてみれば、日本共産党は、今度の選挙は、安倍自公政権とその補完勢力を退陣に追い込むことをかかげ、「市民と野党の共闘で新しい政治の道を切り開こう」という方針です。この方針を握ってはなさず、揺るがずに一党員として選挙戦を戦おうと、気持ちを切り替えました。
同時に、職場復帰の時期も考えなくてはと思っていたところ
「今村さんには、比例候補としてがんばってもらうから」と言われ「はい、わかりました」と返事をしてしまいました。
新しい任務について、よく考えてみたら、ここは、南関東ブロックです。神奈川、千葉、山梨3県が活動範囲になるのだろうか?これは、大変なことになった。と、気がつきましたが、時すでに遅し。もう、頑張るしかありません。
(後日、活動範囲は神奈川県のみとわかりました。)
わたしにとっては、さらに難しい挑戦ですが、憲法をないがしろにし、民意を無視し暴走を続ける安倍政治を終わらせるため、全力でがんばります。


わたしがやりたいことは、ふたつあります。
ひとつは、社会保障を充実し、だれもが安心して暮らせる社会にすることです。生活保護費や年金の切り下げ、介護保険や医療費負担を増やすことをこれ以上ゆるさず、憲法第25条にもとづいた、国民の暮らしを守る世の中にしたいと思います。
もうひとつは、憲法9条を守ることです。戦争で犠牲になるのは、人々の命と暮らしです。「憲法改正」勢力を少数に追い込み、安倍政権の「戦争する国づくり」をやめさせ、日本の宝である憲法9条を守り抜くため全力でがんばります。
わたしは、この間、6区のみなさんに支えていただき頑張ってきました。


今後は、比例代表の候補者として、国会をめざします。ひき続きよろしくお願いいたします。
比例代表は、日本共産党と書いていただき、南関東ブロックで4議席以上獲得できるよう、そして、小選挙区では、野党共闘の候補者が勝利できるよう、みなさんの周りにも大きくご支援広げてください。どうぞよろしくお願いいたします。
ともに、がんばりましょう!


2017 .10.7


28日に国会が解散され、街は一気に総選挙モード。
有権者の関心や注目も大きく高まっています。


私、今村あゆみも、連日、街頭で訴え。
9月29日は、鶴ヶ峰駅などで、旭区選出のかわじ市議会議員と一緒にスピーチしました。


「憲法9条守れの思い、日本共産党の今村あゆみにたくしてください」「消費税10%への増税はキッパリ中止し、公正公平な税制にきりかえましょう。大企業や富裕層への応分の負担を求める税金の改革をすすめるとともに、軍事費や今すぐ必要のない大型開発にメスを入れ、暮らし応援の政治をごいっしょにつくりましょう」などと訴えました。





宣伝の際に、ポスターをじっと見ていた方がいたので、「今村あゆみです、宜しくお願いします」と声をかけたら、「どこかの党みたいにできては消えてしまうところとは、おたくのところは違うから応援しています」と、激励されました。
全力で走り抜けます。

今村あゆみは、神奈川六区の党と後援会決起集会であいさつ・決意表明の機会をえて、次のようなスピーチを行いました。


私は、社会福祉施設(法人)で勤務しながら、今日まで来ましたが、突如の解散・総選挙となり、「候補者としてこれを迎へ撃つため、職場に長期の休みの申請をしたところ、『理事長は、公民権の行使は誰にも止められない権利だから』と了解してくれ、力一杯たたかうことができるようになりました」と報告し、「今度の選挙は政治を変える大チャンス。憲法9条改憲許さず、平和な日本をつくる。憲法を暮らしに活かし、一人ひとりが大切にされ、誰もが生き生きと暮らせる社会をつくる」と自分の思いを重ねて話しました。

北海道北見市、私の実家から車で30分ほどのところに栃木という集落があります。北海道には入植者の出身地の県や町の名前をつけた地名が各地にあるのですが、この栃木は、あの足尾銅山鉱毒の被害をうけた谷中村から「移住」させられた人たちが入植し開拓した土地だと知りました。

9月2日の旭区後援会のバス旅行で行った足尾銅山と私の故郷に、こんな関係があったことを知り驚きました。でも、初めて聞いたわけではなさそうなのです。

小学生のころ母に連れられて参加した開拓史を学ぶツアー。主宰は小池喜孝先生。著書に『谷中から来た人たち 足尾鉱毒移民と田中正造』があるので、そのツアーで栃木集落にも行き、お話しを聞いていたのでしょうね。

余談ですが、小池喜孝先生は「赤毛のアン」を命名者でもあるのです。朝ドラ「花子とアン」で知りました(笑)。